世界の現代音楽界の先頭に立ち続けたとされる、作曲家でピアニストの一柳慧(いちやなぎ とし)さんがお亡くなりになりました。
一柳慧さんは音楽に携わる両親の元に生まれ、幼い頃から生涯音楽と共に歩まれています。
また一柳慧さんは、ビートルズのメンバーだったジョン・レノンの嫁(妻)で知られるオノ・ヨーコさんと結婚されていた時期があるとは驚きです。
どんな出会いだったのでしょうか?
一柳慧さんは現在息子さんがいらっしゃるようですが、現在の嫁(妻)は誰で子供は何人かの家族構成も気になります。
そこでこの記事では【一柳慧の嫁(妻)は誰で子供は何人?元嫁オノ・ヨーコとの結婚は6年!】としてリサーチします。
・一柳慧の嫁(妻)は誰で子供は何人?
・一柳慧の元嫁(妻)オノ・ヨーコ
・一柳慧のプロフィール・経歴
一柳慧の嫁(妻)は誰で子供は何人?
一柳慧さんの嫁(妻)や子供の情報は見当たらず、おそらく一般の方だと思われます。
ですが、一柳慧さんの訃報が報じられた際に『喪主は長男慶(けい)氏』と記載がありましたので、一柳慧さんには息子さんがいらっしゃるようです。
また、一柳慧さんの嫁(妻)は既に他界されているようでした。
というのも以前取材で、インタビュアーと一柳慧さんの間でこのような会話がされています。
【一柳さんの“弦楽四重奏曲 第3番「インナー・ランドスケイプ」”は、どのような曲ですか?】
一柳:これはプライベートな話になってしまうのですが、この曲を書いた前年に僕は女房を亡くしているんですよ。それで、女房とも親しくしていたニューアーツ弦楽四重奏団のメンバーが委嘱してくれて書いた曲なんです。だから、なんというのかな……。伴侶がいなくなると、数年間はいろんな意味で生活が混乱しますからね。そんな中で書いた曲。
引用元:CINRA
どうやら一柳慧さんの嫁(妻)は、一柳慧さんが“弦楽四重奏曲 第3番「インナー・ランドスケイプ」”を書かれる1年前に亡くなられているようです。
調べたところ、“弦楽四重奏曲 第3番「インナー・ランドスケイプ」”は1994年の作品とされているので、そこから計算する1年前だと1993年になりますね。
書き出された頃から計算すると、もっと前かもしれません。
いずれにしても一柳慧さんの嫁(妻)は、30年近く前に他界されているようです。
一柳慧さんの嫁(妻)は一般の方で、お2人の間には少なくとも子供が1人・長男の慶さんがいらっしゃることがわかりました。
他の子供についてはわかり次第追記します。
一柳慧の元嫁オノ・ヨーコとの結婚は6年!
一柳慧さんの元嫁はオノ・ヨーコさんで、1956年に結婚して、1962年に離婚されています。
結婚生活は6年で、お二人の間に子供はいないようです。
一柳 慧
オノ・ヨーコ pic.twitter.com/pafKz9u6NH— ジンジャー (@Gingersalt27) October 8, 2022
一柳慧とオノ・ヨーコの馴れ初め
一柳慧さんと元嫁オノ・ヨーコさんとの出会いはニューヨークでした。
一柳慧さんは『当時は、日本からニューヨークまで来る人というのはどこか大きな会社の御曹司か、僕みたいな非常に貧乏な学生か』と仰っています。
そんな限られた人達が、その頃ニューヨークに1軒か2軒しかなかった日本食のお店に集い、いつの間にか、みんな顔馴染みになっていたそうです。
『敗戦した日本はこれからどういう道を歩んだらいいのか?もっと工業を発展させて欧米と匹敵する経済力をつけるべきか、あるいはスイスのような観光立国としてやっていくべきか』など討論した仲間の中に、元嫁のオノ・ヨーコさんもいたようです。
この時代にニューヨークに行くと言う人たちは強い志を持った人たちの集まりだったのではないかと想像します。
そんな一柳慧さんと出会った元嫁のオノ・ヨーコさんは、在学していたサラ・ローレンス大学を退学してまで結婚されているので、よほど意見や価値観が合ったのではないでしょうか。
オノ・ヨーコさんの両親は一柳慧さんの無産階級育ちが気に入らず2人の結婚を猛反対したとのことですので、一柳慧さんとオノ・ヨーコさんの結婚が駆け落ち同然だったことがわかりますね。
オノ・ヨーコについて
オノ・ヨーコさんは、ビートルズのメンバーのジョン・レノンさんの妻として有名ですが、実はオノ・ヨーコさんには3回の結婚歴があり、最初の結婚相手が一柳慧さんなのです。
オノ・ヨーコさんはいわゆる"由緒正しいお嬢様"で、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎さんを祖父に持ち、父もヨーコさんが生まれたときは横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していたと言うのですからエリートですよね。
しかしオノ・ヨーコさんの父親は元々銀行員だったわけではなく、ピアニストから銀行員に転じた方だそうで、ヨーコさんがピアニストの一柳慧さんと出会ったのも何かの縁のように感じます。
ちなみにオノ・ヨーコさんの母親も「安田財閥の祖」である安田善次郎の孫だそうです。
そんな超お嬢様のオノ・ヨーコさんは、父親の赴任先のサンフランシスコやニューヨークと日本を行き来する学生時代を送っていましたが、1953年、20歳のときに家族と共に父親の赴任先であるニューヨーク郊外のスカーズデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶことになりました。
その頃、一柳慧さんと出会ったことになりますので、一柳慧さんとオノ・ヨーコさんには、音楽という共通の話題もあったことがわかりますね。
一柳慧のプロフィール・経歴
一柳慧さんのプロフィール・経歴をご紹介します。
現代音楽界をリード 作曲家の一柳慧が死去 - amass https://t.co/rqjDa1jGss @amass_jpより pic.twitter.com/HSnNlpqrK6
— Relax:映画と音楽..サブカルチャー (@Relax_Subcultur) October 8, 2022
名前 | 一柳 慧(いちやなぎ とし) |
生年月日 | 1933年2月4日 |
父親 | 一柳 信二(チェロニスト) |
出身地 | 兵庫県・神戸 |
・一柳慧さんはチェリストの父親と、自宅でピアノを教えていた母親の元に生まれ、出身は神戸ですが2才の時に東京へ移り住んでいます。
・1949年~1951年青山学院高等部在学中、毎日音楽コンクール作曲部門で3年連続入賞(うち2回は1位)。
・1954~1957年、19歳で渡米しニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。
・1956年にオノ・ヨーコと結婚
・1950年代後半からニューヨークを中心に、ケージ、デヴィッド・テュードアらと実験的音楽活動を展開。
・偶然性や図形楽譜を用いた作品と、欧米の新しい音楽の紹介と演奏によって、さまざまな分野に強い刺激を与える。
・1985年『フランス文化勲章』受賞
・1999年『紫綬褒章』受賞
まとめ
今回は【一柳慧の嫁(妻)は誰で子供は何人?元嫁オノ・ヨーコとの結婚は6年!】としてまとめました。
一柳慧さんの嫁(妻)は一般の方と思われ、詳しい情報は見当たりませんでしたが、一柳慧さんの取材から、嫁(妻)は既に他界されていることがわかりました。
また、一柳慧さんと嫁(妻)との間にはご長男の慶さんがいらっしゃっることもわかりました。
他のご家族については現在調査中です。
一柳慧さんの元嫁のオノ・ヨーコさんとはニューヨークで知り合い6年間の結婚期間がありましたが、子供はいらっしゃいません。
一柳慧さんのご冥福をお祈りします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。