2022年、NHK朝ドラ『ちむどんどん』でヒロインを務め、数多くに作品で黒島結菜さん。
黒島結菜さんは今までにも「マッサン」「スカーレット」「花燃ゆ」「いだてん」など、数多くのNHK作品に出演されていますが、「ちむどんどん」では沖縄に生まれ育った主人公としての登場でした。
黒島結菜さんご本人も沖縄の出身なので、等身大で挑める所があったのではないでしょうか。
撮影開始当初、沖縄の家のスタジオセットでも「ずっとここにいたような雰囲気。地元に帰ってきたみたい」と仰っていたそうですよ!
黒島結菜さんが高校時代までを過ごした、沖縄での生い立ちはどんなだったのでしょうか?
この記事では、「黒島結菜の生い立ちが意外!親や兄弟の家族構成も調査!」としてリサーチしてみようと思います。
・黒島結菜の意外な生い立ち
・黒島結菜の家族構成
黒島結菜の生い立ち
黒島結菜さんは、沖縄県の第四都市と言われる浦添市で誕生し、3才からは糸満市へ移られたそうです。
糸満市とは沖縄本島最南端に位置した、沖縄戦の終戦地でもあります。
平和記念資料館が設置されていることでも知られていますね。
黒島結菜さんはどのような幼少期を過ごされたのか、その生い立ちを見ていきましょう。
糸満市立潮平小学校
黒島結菜さんの通われた糸満市立潮平小学校は、2020年時点の調べによると全校児童686人で、糸満市内の公立小学校11校中、4番目に児童数の多い小学校だそうです。
黒崎結菜さんは小学校時代、外で遊ぶのが大好きで「公園で木登りばかりやっていた」と仰るように、明るく活発に過ごされたようです。
ボーイッシュなイメージがある黒島結菜さんなので、明るい日差しの中でのびのび遊んでいる姿がピッタリ!ですよね。
又、駅伝チームの主将としても活躍し、アンカーを走って優勝されたそうです。
『ちむどんどん』でも、校庭を全力で走るシーンが様になっていましたが、黒島結菜さん自身もスポーツ万能な少女だったんですね。
ちなみに2009年、糸満地区小体連駅伝大会で潮平小学校女子が優勝したニュースは新聞にも載り、6年生だった黒島結菜さんの言葉も掲載されています。
写真の中から、当時6年生の黒島結菜さんを見つけてみてください!
「男女みんなで一つになって頑張ったから優勝ができたんだと思います。後輩たちにタスキを託すので、来年はアベック優勝を目指して欲しいです」
引用元:http://www.city.itoman.lg.jp/topics/200902/20090219_3.htm
糸満市立糸満中学校
糸満市立糸満中学校は2020年時点の調べによると全校生徒502人で、糸満市内公立中学校7校の中で、一番生徒数の多い中学校のようです。
そして、小学校時代活発だった黒島結菜さんは、「中学校に入ってから少し変わった」と仰っています。
「小学校までは割と同じ友達と過ごしたが、中学校で新しい友人ができる環境になると、自分が人見知りであることを知った。それからはおとなしくなり、あまり前には出ない性格になった」
引用元:琉球新報
この中学時代の引っ込み思案が芸能活動を始めるきっかけとなったそうですが、小学校時代あんなに活発だった黒島結菜さんだけに、何があったのでしょうか?
調べていてひとつ気になったのは、通われていた潮平小学校から徒歩4分の所に潮平中学校があるのですが、黒島結菜さんは潮平小学校から車で7分の所にある糸満中学校へ進学されました。
理由はわかりませんでしたが、少し離れた学校へ通うことで、慣れ親しんだ友達と中学校が別々になった可能性もありますね。
沖縄県立糸満高校
黒島結菜さんは、先に触れた中学校での引っ込み思案を解消するために、家族の薦めもあってモデル活動を始めていました。
糸満高校は『文武両道』で、勉強もスポーツも頑張ろう!という学風だったそうです。
黒島結菜さんは、部活の代わりに学業と仕事が両立できるとの理由で糸満高校を選びました。
これだけ可愛くて、芸能活動もされているとなると注目の的のように感じますが、意外にも黒島結菜さんの高校時代も「目立つ存在ではなかった」そうですよ。
「私は窓の隅っこに座って、みんなのことを客観的に見ている子でした。ベランダから海が見えるのでボーっとしてました」
と仰る黒島結菜さん、ドラマのイメージと違って少し意外です。
2012年に本格的に仕事を始めると瞬く間に仕事が入り、東京と沖縄を往復する生活を続けていましたが、卒業まであと半年の2014年の9月の上京と共に転校されたそうです。
黒島結菜さんにとって、糸満高校まで過ごした沖縄での生い立ちを振り返ってみると、イメージ通りの活発少女だった小学校時代を経て、中学生くらいからは静かに物事を考える意外な一面が共存していました。
黒島結菜の家族構成
黒島結菜さんは、父親の慎吾さん、母親(お名前がわかりません)、2つ年下の妹の結花さん、4つ年下の花音さんの5人家族です。
父親の伸悟さんはカラハイという会社の経営者で、ホームページ制作やネットショップ制作に携わっています。
母親のお名前の情報がないのですが、黒島結菜さんに地元企業のオーディションを勧めたのは母親でした。
引っ込み思案の結菜さんに「自己アピール力をつけなさい」と背中を押してくれたのです。
そして、高校生で沖縄から上京して頑張っている結菜さんに、「結菜の味方だから、何かあったらいつでも帰っておいで」と遠く離れた今でも、温かく見守っているようです。
2人の妹さんは、黒島結菜さんと同じ糸満高校へ進み、バトミントンで活躍されたそうですよ。
三姉妹揃って美人で、運動神経も良いなんて羨ましいですね!
黒島結菜の妹らしい pic.twitter.com/PNaXgAIIYX
— ソーンK (@soonkkkk) June 2, 2017
県選抜バドミントン 女子シングルス(3/11うるま市石川)
🥇與儀美羽(作新学院大)
🥈上村麻衣(沖縄銀行)
🥉前田志織(沖縄国際大)
🥉竹田涼香(名桜大)ベスト8
大城結(コザ高)
金城悠姫(ゆいはま)
黒島結花(糸満高)
黒島花音(糸満高) pic.twitter.com/SWdPXntqMq— ク バ コ ー (@KUBAGAWA_Koh) March 11, 2018
そして、黒島結菜さんがテレビ番組「アナザースカイ」に出演された時に、父親が宛てた手紙の温かさには大きな反響がありました。
ちょ、太陽で見えないよ(汗)
根を…?なんだっけ…#黒島結菜#アナザースカイ pic.twitter.com/bfcJ7xS8ms— でんでん丸之助 (@964ma_sun) March 9, 2018
結菜ちゃん、いい家族の中で育ったんだなぁ。
お父さんの言葉を大切に、これからも頑張って欲しい(*´ω`*)
応援するーーー!✨#黒島結菜 #アナザースカイ— ミイヤ (@miiya0711) March 11, 2018
感動したし、心が洗われた。
結菜さんはやっぱり素敵な人🌱
いつまでも瑞々しい感性を持ち続けて欲しいなあ
これからも応援し続けます!頑張ってください!#アナザースカイ#黒島結菜— Kotaro@黒島結菜さんfan (@YKf1902) March 9, 2018
#アナザースカイ
#黒島結菜
泣けたよぉ。
特に結菜ちゃんが読んだお父さんからの手紙で、スタッフさんに、ハンカチやタオルじゃない、「手ぬぐい取って」って言うとこ~😭
手をぷらんぷらんさせて、今にもそのままぴょんぴょんして、(ง •̀_•́)งシャーッと走り出しそうなとこ。
可愛かった❣️— あーっちゃん (@QmLH9467AIyZDnc) March 10, 2018
又、仲が良く温かいのはご家族だけでなく、黒島結菜さんの親戚の皆さんも仲が良いそうです。
仲も良くて、電話も掛かってきます。おじいちゃんやおばあちゃんとか、親戚がみんな入っているLINEのグループがあるんですよ。「今日は誰々が運動会でした」とか、「畑でパイナップルが取れました」とか、日常的な会話はそのLINEでしていますね。
引用元:otocoto
実はこの親戚の方々、揃ってNAHAマラソンに参加するパワフル一族なんです。
何でも祖父の進さんが地元じゃちょっとした有名人のようで、このマラソン参加のニュースが新聞にも載っていました。
沖縄県石垣市の黒島進さん(70)ら親族は3世代総勢10人で力走した。名字は全員が「黒島」さん。そろいの黒いユニフォームには、屋号にちなんで「#R220(アール・フツマ)」とプリントした。40代後半からマラソンを始めた進さんはNAHAマラソンの常連。
引用元:沖縄タイムス
こんな、温かい親族の中で黒島結菜さんは育ったのですね!
黒島結菜さんからから伝わる飾らない素朴な人の良さは、やはり作られたものではないことを感じます。
まとめ
今回は「黒島結菜の生い立ちが意外!親や兄弟の家族構成も調査!」としてまとめてみました。
黒島結菜さんは、高校3年生の途中までを沖縄で過ごしています。
そこまでの生い立ちを振り返ってみると、黒島結菜さんのイメージにぴったりな活発少女だった小学生時代と、目立たない引っ込み思案だった中学生以降と、意外な一面が共存していたことがわかりました。
黒島結菜さんは、元々芸能界を目指していたのではなく、引っ込み思案を解消する為に挑んだオーディションがきっかけでしたが、瞬く間に人気となり現在に至ります。
そんな黒島結菜さんの人気も、温かいご家族をはじめ、親族みなさんの中で培われた人間性なのだと納得ですね。
これからも黒島結菜さんの活躍を楽しみに、応援しています!
最後までお読みいただきありがとうございました。