2022年11月1日、宮崎吾朗さんが制作指揮を担った『ジブリパーク』が第一期オープンを迎えました。
宮崎吾朗さんは三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手掛けられたり、映画『ゲド戦記』や『コクリコ坂から』の監督としても知られていますが、あの日本を代表する宮崎駿監督のご長男としても有名ですよね。
それだけでも芸術の才能に長けたDNAを感じますが、なんと宮崎吾朗さんの母親や弟、祖父に至るまでクリエイターだそうです。
そうなると宮崎吾朗さんの嫁(妻)や子供についても気になってきますよね。
そこでこの記事では【宮崎吾朗の嫁(妻)は誰で子供は何人?両親や弟・祖父もクリエイター!】としてリサーチしました。
・宮崎吾朗の嫁(妻)は誰で子供は何人?
・宮崎吾朗の両親や弟・祖父もクリエイター!
宮崎吾朗の嫁(妻)は誰で子供は何人?
宮崎吾朗さんの結婚については全く情報がなく、結婚した時期や結婚相手である嫁(妻)がどんな方なのかもわかっていません。
おそらく宮崎吾朗さんの嫁(妻)は一般の方なのだと思われます。
ですが、宮崎吾朗さんには2008年8月に長男が誕生していることがわかっています。
わかっている子供の人数は1人ですので、宮崎吾朗さんの子供は一人っ子なのかもしれません。
2008年ということは宮崎吾朗さんが41才の頃ですので、一般的に考えれば比較的遅い結婚だった可能性もあります。
そして2022年11月現在、宮崎吾朗さんの長男は14才で中学2年生ということになりますので、宮崎吾朗さん似のイケメン男子の可能性は大ですね!
宮崎吾朗の両親や弟・祖父もクリエイター!
ここでは宮崎吾朗さんの両親(父親・母親)、弟、母方の祖父についてお伝えします。
宮崎吾朗の父・宮崎駿
宮崎吾朗さんの父は、日本の映画監督でありアニメーターの宮崎駿監督です。
「なつぞら」の東洋動画のモデルは東映動画だ
東映動画は日本最初の<総天然色漫画映画>である「白蛇伝」を制作した会社というよりも 偉大なアニメーター・宮崎駿を生んだ会社として映画史に名を残すことになるのだろう
大田朱美は宮崎の3歳年上で 東映動画では先輩社員だった#東映動画 #宮崎駿 pic.twitter.com/mvUdMh6zrU
— 大貫虎吉 (@tora__1947) June 16, 2019
宮崎駿監督は『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』など、代表作を上げたらキリがない程の名作を生んでいるのはお伝えするまでもないですね。
そんな宮崎駿監督は4人兄弟の次男として生まれ、身体は弱く運動は苦手だったそうですが、絵はずば抜けて上手かったそうです。
学習院大学政経学部卒業後、1963年に東映動画にアニメーターとして入社し、3才年上の大田朱美さんと出会い結婚。
1984年に個人事務所の二馬力を設立し、翌1985年に高畑勲らとアニメーション制作会社スタジオジブリを設立し、数々の作品を生み続けています。
宮崎吾朗の母・朱美
宮崎吾朗さんの母親、朱美さんの旧姓は大田朱美さんです。
宮崎駿さんと同じ東宝動画に勤め、原画マンの仕事をされていたアニメーターです。
組合運動の盛んな時期に、宮崎駿さんとは組合活動を通じて知り合ったそうで、右側の写真の女性が朱美さんです。
下山が電撃的に茜と結婚しました。下山のモチーフとなった大塚康生さんは仕上スタッフの本橋文枝さんとご結婚されています。茜は名前の読みが似ていることから大田朱美さん(宮崎駿監督の奥様)がモチーフだと思われていましたが、違ったようです。#なつぞら pic.twitter.com/Y3ar3CvSsP
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) July 29, 2019
母・朱美さんは、宮崎吾朗さんが5才の頃までは共稼ぎで働いていましたが、宮崎駿さんが独立されてからは家庭の事を協力し合って補うことが難しくなった為、朱美さんは仕事を辞めて家庭に入られました。
宮崎吾朗さん曰く、母・朱美さんは『妻として宮崎駿を支えなきゃいけない』と思ってずっとやってきているように感じるそうです。
また、母・朱美さんには昔から『トトロ』のような子供向けの作品を作って欲しい思いがあり、今も変わらず『子供の将来に何か意味のある形の作品を作って欲しい』と思っているようだとのことです。
そんな母・朱美さんは、多忙な宮崎駿さんに代って宮崎吾朗さん兄弟を連れてハイキングに出掛けるなど、父親代わりを全部してくれたと言います。
まさに母・朱美さんは、良妻賢母な姿を地で行くお母様のようです。
宮崎吾朗の弟・敬介
宮崎吾朗さんの弟は、日本の版画家・宮崎敬介さんです。
武蔵野美術大学造形学部在学中に独学で木口木版画を始め、卒業後は版画家として木口木版画の制作を続け作品を産んでいます。
宮崎駿の吾郎じゃない方の息子さん宮崎敬介さんの版画素敵だな pic.twitter.com/duUCV4CfvD
— 齋藤あきこ (@akiko_saito) March 3, 2022
普段は父親が宮崎駿監督であることを伏せて創作活動をしているそうですが、一部作品を父の関わった作品に提供したことがあると言われています。
三鷹の森ジブリ美術館のトライホークスでも、宮崎敬介さんの描いたポストカードに出会えるそうですよ!
三鷹の森ジブリ美術館のトライホークスで本を買うと宮崎駿さんデザインのブックカバー付けてもらえるので欲しかった二木真希子さんの本とジブリ紙の美術館買いました〜。ポストカードもたくさんあって、宮崎敬介さんの描いたポストカードすごい好き。 pic.twitter.com/1TRspun9BP
— みりん (@mirin_gbl) October 24, 2021
宮崎吾朗の祖父・大田 耕士
宮崎吾朗さんの母方の祖父は、版画家の大田耕士さんです。
大田耕士さんは明治42年の生まれで、兵庫県で小学校教師をつとめ、新興教育運動に参加されています。
昭和12年に上京し、美術風刺雑誌「カリカレ」を発行して16年に検挙されるも、26年日本教育版画協会を創立し翌年には機関誌「はんが」を創刊するなど、児童版画の普及に尽くされました。
「#彫刻刀が刻む戦後日本 作品紹介⑤ 版画の教室」
戦後版画運動に加わっていた大田耕士は平塚運一、恩地幸四郎らの協力を得て1951年に「日本教育版画協会」を設立。版画を普及する対象を労働者から子どもへと移しました。
本書は大田が版画教育について初めて書いた本です。 pic.twitter.com/bDynosz7Nv— 町田市立国際版画美術館(町田市公式) (@machida_hanbi) June 18, 2022
その画風は昔話の絵本でも出会えます。
「#彫刻刀が刻む戦後日本 作品紹介⑤ 版画の教室」
戦後版画運動に加わっていた大田耕士は平塚運一、恩地幸四郎らの協力を得て1951年に「日本教育版画協会」を設立。版画を普及する対象を労働者から子どもへと移しました。
本書は大田が版画教育について初めて書いた本です。 pic.twitter.com/bDynosz7Nv— 町田市立国際版画美術館(町田市公式) (@machida_hanbi) June 18, 2022
また、大田耕士先生愛用だった机には三鷹の森美術館で出会えるそうです。
三鷹のジブリ美術館にある大田耕士愛用の机。元は畦地梅太郎から譲られたものだそうで。 pic.twitter.com/nIP647N74w
— KNM (@KNM2002) April 24, 2022
このように、宮崎吾朗さんの父親は日本の映画監督でありアニメーターの宮崎駿監督、母親は元アニメーターの大田朱美さん、弟と母方の祖父は、共に版画家の宮崎敬介さんと大田耕士さんだと言うことがわかりました。
皆さん作品を生みだすクリエイターってスゴイですね。
まとめ
今回は【宮崎吾朗の嫁(妻)は誰で子供は何人?両親や弟・祖父もクリエイター!】としてリサーチし、ご紹介しました。
ここでわかったこと。は以下の通りです。
・宮崎吾朗の嫁(妻)は一般人の可能性が強く情報がない。
・宮崎吾朗の子供はおそらく1人で2022年11月現在14才の男の子。
・宮崎吾朗の父親は映画監督・アニメーターの宮崎駿。
・宮崎吾朗の母親は元アニメーターで旧姓・大田朱美。
・宮崎吾朗の弟は版画家の宮崎敬介。
・宮崎吾朗の母方の祖父は版画家の大田耕士。
宮崎吾朗さん含め、ご家族がクリエイターだらけで才能が溢れた一家だということがわかりました。
これからも多くの子供や人々がこれらの作品に出合う事でしょうね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。