人物

平野啓一郎の出身校や学歴!母親の実家は医者家系のお金持ち?

1999年、当時最年少の23歳で芥川賞を受賞された平野啓一郎さん。

受賞作の『日蝕』は大学在学中に執筆した作品でしたが、高校生の頃から小説を書かれていたそうです。

どんな学生時代だったのか気になりますね。

 

また、実は平野啓一郎さんが1才の頃に父親は突然死でご逝去されています。

母親が女手一つで平野啓一郎さんと姉の2人の子供を育てるのは大変だったと思われますが、意外と裕福な様子が平野啓一郎さんの学歴からも伺えます。

 

そこでこの記事では【平野啓一郎の出身校や学歴!母親の実家は医者家系のお金持ち?】としてリサーチします。

この記事でわかる事

・平野啓一郎の出身校や学歴
・平野啓一郎の母親の実家は医者家系のお金持ち?

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平野啓一郎の出身校や学歴

平野啓一郎さんの学歴を調べたところ、下記の出身校がわかりました。

・私立明治学園中学校卒業
・福岡県立東築高等学校卒業
・京都大学法学部卒業

平野啓一郎さんの出身校と共に、中学・高校・大学時代を振り返ってみます。

私立明治学園中学校

小学校の頃から勉強が出来たという平野啓一郎さんは、中学受験をして『私立明治学園中学校』へ入学しました。

こちらの学校は偏差値55とされ元々は女子校で、当時女子は小中高とありましたが男子は小中のみだったそうです。

その為、男子は高校になると他の学校へ行かないとならならず、ラ・サールなどの進学校へ行くために入学してくる男子が多かったそうです。

 

そんな中、平野啓一郎さんはただ8才年上の姉がその学校の出身だったことと、母親も私立中学を勧めてきたという理由でこちらの中学校へ行かれたそうです。

部活動はテニス部…の幽霊部員だったそうで、実際には趣味のエレキギターに夢中になっていたそうですよ。

福岡県立東築高等学校

平野啓一郎さんが進学されたのは公立校の『福岡県立東築高等学校』で、偏差値70の、かなり優秀な学校です。

平野啓一郎さんが初めて小説を書いたのはこの高校生の頃でしたが、その時はただ書きたくて書いていただけで、作家になりたいと言う思いは無かったそうなんです。

 

そしてそんな高校年生の時、担任の先生に「お前は変わってるから、東大より京大に行け」と言われたことがきっかけで模試の時に志望校を「京都大学」と書いたところA判定だったとか…

平野啓一郎さんは想像以上に賢い方のようです!

京都大学法学部

平野啓一郎さんが最終的に進まれた大学は『京都大学法学部』で、言うまでもなく偏差値67.5の超難関校です。

平野啓一郎さんは軽音楽サークルでギターを担当し、主にLOUDNESSをはじめとするヘヴィメタル系のコピーを中心に活動されたそうです。

 

そしてこの大学時代に、平野啓一郎さんはバーのアルバイトや軽音サークルの活動をしながら小説を執筆されました。

21歳の平野啓一郎さんは資料収集と執筆にそれぞれ半年を費やして処女作の『日蝕』を書きあげたのだそうです。

平野啓一郎の母親の実家は医者家系のお金持ち?

先述したとおり、平野啓一郎さんが1才の頃に父親は突然死でご逝去されていて、平野啓一郎さんと姉は母親と共に母親の実家がある福岡県北九州市八万西区へ移り住みました。

平野啓一郎さんの母親の家家は医者や歯医者の家系とのことで、とても余裕のあるお金持ち?と思えます。

 

そして、平野啓一郎さん姉弟を育てるにあたり、そんな家系の協力もあったのではないか?と考えられる事柄は次の通りです。

・平野啓一郎さんと姉は、共に中学校から私立を受験して通う。
・ピアノ、スイミング、書道、剣道…などの習い事をしていた。
・姉は医者になっているので大学は医学部。

平野啓一郎さんの母親はずっと働かれていたようですが、それだけではなかなか2人の子供にここまでの教育を受けさせることは難しかったのではないでしょうか。

平野啓一郎さんの母親と共に、皆で協力して、大事に平野啓一郎さん姉弟を育ててこられたのではないかと想像します。

 

平野啓一郎さんは小説家として活躍され自身の作品が映画化される程で、姉も医者となられたとのこと。

きっと現在の活躍を喜ばれているに違いありませんね!

まとめ

今回は【平野啓一郎の出身校や学歴!母親の実家は医者家系のお金持ち?】としてまとめました。

当時最年少で芥川賞を受賞された平野啓一郎さんについて調べたところ、幼少時代から大変優秀な成績だったことがわかりました。

・私立明治学園中学校卒業
・福岡県立東築高等学校卒業
・京都大学法学部卒業

高校時代から小説を書くなど、早い時期からその片鱗もうかがえます。

また、平野啓一郎さんは1歳の頃に父親が他界し、寂しい思いもされたと思いますが、母親や周りの人からの温かい環境の中で育つことが出来たのではないかと推察します。

これからも平野啓一郎さんの生み出す作品が楽しみです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。