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小田貴月の若い頃は女優で離婚歴2回!現在は高倉健の養女なぜ?

日本を代表する名優・高倉健さんの最期を看取った養女、小田貴月さんとはどんな方なのでしょうか。

小田貴月さんは現在、高倉プロモーションの代表取締役を務めています。

 

孤高の人として知られる高倉健さんが誰よりも信頼を寄せた小田貴月さんについて知りたいですよね。

小田貴月さんは若い頃女優をされていただけあり顔写真を拝見するととても美しい方で、同性から見ても魅力的に感じますが、2度の離婚歴もあるそうです。

 

そこでこの記事では【小田貴月の若い頃は女優で離婚歴2回!現在は高倉健の養女なぜ?】として、高倉健さんのパートナーであり養女となった、小田貴月さんについてリサーチします。

ここの記事でわかること

小田貴月の若い頃
小田貴月の現在

小田貴月の若い頃は女優で離婚歴2回!プロフィールも

小田貴月さんについてご紹介します。

年齢:59歳(2023年6月時点)
生年月日:1964年1月13日
本名:河野 貴(出生名)
身長:163cm
体重:不明
サイズ:B84cm  W58cm  H86cm
出身地:東京都板橋区
学歴:千代田女学園高校 (同短期大学中退)
特技:新体操 (高校時代 東京都大会で3位)
結婚&離婚歴:2回

小田貴月さんは高校時代新体操で活躍する傍ら演劇部に所属し、若い頃は女優をされていました。

そして2度の離婚歴があるそうですが、お相手はどんな方だったのでしょうか?

デビューした年齢

小田貴月さんが女優デビューした年齢は19歳です。

高校在学中にスカウトされたことがきっかけでした。

高校卒業後は短期大学へ進学されていますが中途退学されたところを見ると、19歳で女優デビューしたことで学業の両立が難しくなったか、女優の仕事に専念しようと決められたのだと思われます。

芸名や出演作品

小田貴月さんの女優時代の芸名は貴倉良子(たかくらりょうこ)さんです。

女優として出演された作品全てが高倉良子さんの芸名ではない事から、途中で改名するまでは本名の河野貴名義で活動されたようです。

出演作品としては必殺仕事人や水戸黄門などの時代劇モノから、井森美幸さん主演・鈴木保奈美さんのデビュー作でもある「遊びじゃないのよ、この恋は」などトレンドモノまで様々です。

1985年には、丸善石油(現:コスモ石油)イメージガールにもなられています。

女優はいつまで?

小田貴月(貴倉良子)さんの女優引退の宣言は見当たりませんでしたが、女優としての活動は1988年頃までだった可能性があります。

と言うのも、1989年からはテレビ朝日系列放送ヴィジュアル・エッセイ「THE HOTEL」のプロデューサー&ディレクターを勤められました。

著書に「Hotel」などがあります。

なので、小田貴月(貴倉良子)さんの女優歴は実質19~25歳頃までと考えられます。

結婚歴&離婚歴

小田貴月さんは高倉健さんとの交際までに、2度の結婚歴と離婚歴がある事がわかりました。

最初の結婚は26歳頃で、お相手は日本人とフランス人のハーフで父親はWHOの事務方トップだったとのことです。

しかし妻の収入をあてにする夫に愛想を尽かし1ヵ月くらいの結婚生活だったそうなので、相当なダメ男だったのかもしれません。

2度目の夫はNHKのプロデューサーでお互いにバツイチ婚でしたが、こちらも経済的理由で1年くらいの結婚生活だったそうです。

小田貴月の現在は高倉健の養女で事務所社長

小田貴月さんは現在、高倉プロモーションの代表取締役で、元TBSアナウンサーの生島ヒロシさんと生島ヒロシさんの実弟が立ち上げた芸能プロダクション「生島企画室」と業務提携されています。

高倉健さんの最後の1年を綴った貴重な命の記録「高倉健、最後の季節(とき)。」を出版されました。

高倉健との馴れ初め

小田貴月さんと高倉健さんの出会いは1996年3月だそうです。

当時、フリーライターとして活動していた小田貴月さんが取材で香港のホテルを訪れた際に、仕事仲間と昼食に訪れたレストランで高倉健さんと遭遇されました。

小田貴月さんは入店したものの高倉健さんの姿に気付き一旦外へ出られたそうです。

その後、隅の目立たない場所に席を得て食事をしたそうですが、高倉健さんが小田貴月さん達の元へ来て「お気遣いいただき、ありがとうございました」と挨拶されたのだとか。

 

プライベートで食事中の高倉健さんに気遣いをされた小田貴月さんも、それを察知してお礼を伝える高倉健さんも、人として素敵ですね。

そんな出会いをきっかけに、ハガキでお礼や挨拶、他愛もない文通を1年くらいされたそうですよ!

高倉健の養女になった理由

小田貴月さんが高倉健さんの養女になったのは2013年5月で、高倉健さんからの提案だったそうです。

小田貴月さんが入院している母親の看病をする様子を見て、高倉健さんは「親族でないと、いざという時に看病できないんだね(病状の説明も受けられない)」と認識されたようです。

しかし、結婚することで世間が騒ぎ、作品に影響することは高倉健さんにとって一番嫌な、リスクがあることなので、“じゃあ、養女はどうか?”という話になったのだそうです。

 

小田貴月さんは高倉健さんとの関係をこのように言っています。

「周波数がピタリと合ったとでもいうのでしょうか。何を言わんとしているのか、私のなかにスッと入ってきました。年齢も性差も超えた、魂のレベルで共鳴したのだと」。いずれにしても言葉での説明は難しいです。
引用元:婦人公論

お互いがお互いを理解し合った結果、本来なら『結婚』と言うカタチになるところを『養女』というカタチにおさめられたのですね。

小田貴月さんの小田姓は高倉健さんの本名ですが、今となっては、小田貴月さんが女優をしていた頃の芸名が『貴倉良子(たかくらりょうこ)』と、タカクラ姓だったことも縁を感じてしまいます。

高倉健との生活

高倉健さんと小田貴月さんとの生活は、たまに野良猫が庭にやって来る意外静かなものだったようです。

それは『仕事以外はなるべく目立たず過ごしたい』といつも願っていた高倉健さんにとって、理想の空間だったのではないでしょうか。

 

高倉健さんが小田貴月さんに望んだことは『お化粧をしないでください』と言うこと。

高倉健さんには”お化粧=仕事“の思いが刷り込まれていたようで、日常生活を送る上では『どうぞスッピンでいて下さい』と願われたそうです。

 

そんな高倉健さんの私生活は、世間で言われているような無口な人ではなかったと言います。

時に高倉健さんは死んだふりをして小田貴月さんを驚かせようとしたそうですが、(小田貴月さんが)気付かないフリをして楽しんで見ていると『なんで早く見つけないんだ!笑』と自爆するような少年のような一面もあったそうです。

 

また高倉健さんと小田貴月さんは月に1度くらい、2人でポラロイド写真を撮られています。

このお写真で小田貴月さんが付けているネックレスは、高倉健さんからのプレゼントだそうですよ。

引用元:徹子の部屋

『いつの日かそんな人が現れたらと買ってたものです
それが貴君あなたです
お誕生日おめでとう』

素敵なメッセージと共に贈られた品です。

 

そして2014年11月10日、高倉健さんの最期を看取った小田貴月さん。

最期に言った聞き取れた言葉は『慌てるな、慌てるな』だったと言います。

それが小田貴月さんに向けられた言葉なのか、夢の中の人に語りかけている言葉なのかは不明ですが、最期まで人を気遣われる高倉健さんぽいお言葉ですね。

 

高倉健さんを看取り、小田貴月さんのお寂しい気持ちは計り知れませんが、言葉では言い尽くせない程の濃密な時間の思い出は生き続けている事と思います。

高倉健の財産を相続

小田貴月さんは高倉健さんの死後、高倉健さんの財産を全て相続されています。

遺産は総額40億円以上になるといわれ、その額は芸能界過去最高とも言われています。

 

このような場合、世間の心無いブーイングは避けては通れないことかもしれませんが、高倉健さんが気配りや気遣いの人として有名だったように、養女の小田貴月さんも腰の低い人で、関係者からは納得の声が出たといいます。

その証拠に、小田貴月さんは高倉健さんに17年寄り添いながらも一緒に旅行や外食に出かけたことは一度もなかったと言います。

 

常に裏方に徹し、高倉健さんが高倉健さんであり続けられるようサポートされた小田貴月さんを誰よりも信頼し、心を許し、全てを託した高倉健さん。

そこに全て集約された、素敵なご関係だったことが伺えますね。

まとめ

この記事では【小田貴月の若い頃は女優で離婚歴2回!現在は高倉健の養女なぜ?】としてご紹介しました。

小田貴月さんは若い頃女優をされていて、結婚&離婚歴が2度あったことがわかりました。

高倉健さんの死後、突如『養女』として現れた存在に驚かされましたが、知れば知る程お2人にとって最高のパートナーだったことが伺えます。

『結婚』というカタチは選ばなかったお2人ですが、何よりも強い信頼と絆があったのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。