大相撲の『36代木村庄之助』の山崎敏廣さんがお亡くなりになりました。
(山崎敏廣さんは2011年11月に36代木村庄之助を襲名し、2013年5月に定年退職を迎えられています)
『木村庄之助』とは大相撲に於ける立行司の名称で、行司の最高位を意味しますが、行司の存在は知っていても詳しいことは意外と知りませんよね?
そこでこの記事では【山崎敏廣(36代木村庄之助)の嫁(妻)や子供は?経歴や年収も!】として山崎敏廣さんのご家族や行司にまつわる事についてもリサーチします。
山崎敏廣(36代木村庄之助)の嫁(妻)や子供
山崎敏廣(36代木村庄之助)の経歴や年収
山崎敏廣(36代木村庄之助)の嫁(妻)や子供はいる?
山崎敏廣さんにはキミ子さんというお嫁さん(妻)と子供がいらっしゃいます。
ですが子供の人数や、息子さんなのか娘さんなのかの情報は見つけることが出来ませんでした。
山崎敏廣さんのお嫁さん(妻)のキミ子さんは、山崎敏廣さんと同じ鹿児島県枕崎市の出身で、年齢も同じ2022年現在74歳です。
山崎敏廣さんは定年退職後の2014年に、キミ子さんとの36年間の結婚生活を振り返っていましたので、お2人が結婚されたのは30歳の頃だったことがわかります。
既に行司として活躍されていた山崎敏廣さんは、結婚式翌日には土俵に上がっていたので新婚旅行は行かれてないそうです。
しかも2ヶ月に一度は地方巡業で、身寄りがない東京での子育てに不安になることもありながら、夫婦二人三脚で乗り越えてきたことを振り返り『思い返せば幸せでした。』と仰っていました。
このことから、山崎敏廣さんとキミ子さんに子供がいらっしゃる事は間違いないようです。
結婚されたのが30歳ですので、子供の現在の年齢は40代半ば~後半くらいでしょうか。
山崎敏廣さんにとって、夫の留守をしっかり守って来られたお嫁さん(妻)のキミ子さんや子供の存在が大きかったことが想像できますね。
山崎敏廣(36代木村庄之助)の経歴や年収
『土俵上で相撲の取り組みをスムーズに進行させる役割を担う人=行司』について調べてみたところ、日本相撲協会に所属していて、定員は45名、定年は65歳と決まっていることがわかりました。
なので、新規採用は毎年1人あるかどうかという狭き門で、お相撲さんと同じように、見習いから徐々に階級が上がる仕組みになっているようです。
山崎敏廣(36代木村庄之助)の経歴
山崎敏廣さんは元々警察官志望だったそうですが両親の友人だった26代木村庄之助に、『行司のなり手が誰もいない。このままでは日本の古きよき伝統を守っていける若い人材が育たない。これじゃあ相撲協会はもう危機に陥る』と招かれたそうです。
本人の同意のないまま、ある日中学校の朝礼で校長先生が「山手町出身の山崎敏廣君が日本相撲協会の行司として、年が明けて早々に東京に行きます。みんなで送り出しましょう」と言ったため有無を言えなくなり、町をあげて東京に送り出されたと言うスタートでした。
以降の経歴は次の通りです。
・1964年1月、井筒部屋に行司として入門し、5月初土俵・式守敏廣襲名
・1985年十両格(番付書助手)
・1995年幕内格
・2000年番付書主任
・2006年三役格
・2008年式守伊之助襲名
・2011年木村庄之助襲名
・2013年5月場所中に定年を迎え、千秋楽結びの一番の横綱白鵬 – 同日馬富士戦の裁きを最後に49年間の行司生活を終える。
山崎敏廣(36代木村庄之助)の年収
行司の給料(年収)も階級である「番付」によって変わります。
最高位の立行司(木村庄之助と式守伊之助)の給料(年収)についてもは『月給40~50万円、年収に換算すると500万円前後』とのことです。
ちなみに階級別の参考は下記の通りです。
序の口格 | 1万5000円~2万円 |
序二段格 | 2万~2万9000円 |
三段目格 | 2万9000円~4万2000円 |
幕下格 | 4万2000円~10万円 |
十両格 | 10~20万円 |
幕内格 | 20~36万円 |
三段格 | 36~40万円 |
立行司 | 40~50万円 |
また、この月給とは別に、1場所につき5万円の衣装代、そして手当がついて来るそうです。
まとめ
今回は【山崎敏廣(36代木村庄之助)の嫁(妻)や子供は?行司の年収も!】としてまとめました。
36代木村庄之助の山崎敏廣さんの訃報が報じられました。
山崎敏廣さんには、お嫁さん(妻)のキミ子さんと子供さんがいらっしゃることがわかりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。